C×S(シーバイエス) 青空さんからのエピソード

私には、忘れられない一枚の写真がある。それは、有料老人ホームに出向していた時にある方の居室で見た、一枚の写真だ。
満面の笑みで写真中央に並ぶ幼き少女二人、その後方に凛として立つ父、兄と思われる二人の男性、そして端に佇む精気を失った面持ちの母と思われる女性が収められた一枚であった。
私はその居室へ行くたびに、いつもその一枚だけを食い入るように見つめた。それはどうしてか。
中央の少女たちと端の女性の表情の違いが、同じ一枚に写るものとして全くかみ合わないのだ。初めて見た時の違和感を、私は今でも忘れることが出来ない。

ある日私は「これはご自身の家族写真ですか?」と尋ねてみた。すると「真ん中の女の子が私と妹、後ろが父と兄、端が母よ」と教えてくれた。
さらに私は「このお写真、どういう時に撮ったのですか?」と尋ねた。するとその方は、こう話してくれた。
「それはね、父と兄が戦争へ行く直前に撮った最後の家族写真なの。その写真を撮って直ぐ、二人は戦争へ行き、二人とも帰っては来なかった。私にとって、それは一番の宝もの。その写真があって、本当に良かった」。

その話を聞いて、私の違和感に納得がいった。この写真に写る母は、最愛の二人の死を覚悟していたのだ。
どんな想いで二人の横に立っていたのかは、私の想像を絶するものであろう。そう思った時、私の中で込み上げてくるものがあった。
言葉を失ったまま写真を見つめる私に、その方は更に、こう伝えてくれた。「その写真の右側に飾ってある小さな写真、晩年の母なのよ」。 
目を向けると、これまでは全く目に入っていなかった一枚の写真があった。今私の目の前に居る利用者様かと思うほどの面持ちで、何よりも眼差しが本当に穏やかなのだ。その二枚の写真の間に流れた時間、どんな想いで生きてこられたのかと考えるだけで、私は今でも胸がいっぱいになる。

日々過ごしていると、私自身も心疲れることにぶつかる。また、順番通りに寿命を迎えるとすれば、見送らなければならない命があることも事実だ。
そんなことを考えていると、どんどんネガティブな思考になってしまう。その時の自分は、何とか耐え、過ごしきることが出来るのだろうか?
そんな不安に苛まれながら、何故か最近あの写真を思い出す。私は本当に断片的ではあるが、一人の女性の生きる姿を見せてもらった気がするのだ。そしてその時代、同様の想いや想像すらもつかない苦しみの中にあっても、ひたすら生きることだけを考えて過ごされて来た多くの命があったことを胸に刻まなくてはならない。

介護の仕事をしていると、多くのお客様と出会う。どのような状況に置かれても、ひた向きに生きられるお姿は、見るヒトの心をこれほどまでに打つものなのかと日々実感する。私自身、何かを言い訳にせず、今を精一杯生きようと思う毎日だ。また人間には、生存本能というものが備わっているらしい。危険を回避して、食欲や睡眠欲求といった「三大欲求」を満たして生命を維持させようとするそうだ。本能として生きようとする力、そして、仕事を通して垣間見る多くの方の生き様…私自身も同じ命の営みの流れに存在するのだと思う時、不思議と明るい気持ちで前を向くことが出来るようになった。

介護の仕事とは、利用者様の手助けをすることだけでなく、多くの命に寄り添い、私自身のこれからにも、生きる勇気を与えてくれる掛け替えのないものだ。
大変なこともあるが、気持ちの潤いや心打たれる瞬間に得られる豊かさは、それをはるかに凌駕するものである。
私はこれから、介護の仕事の素晴らしさをもっと多くのヒトたちに知ってもらえるよう、力を注いでいきたい。